荒巻 慶士

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2017.09.26

その他

死に向かうリアリティ

    先日、死にまつわるドキュメンタリーをテレビで見ました。敬老の日の夜、NHKの放送でした。がん患者の死を多く看取ってきたという医師が、自ら末期がんを患っていることがわかり、その死までの1年余りが映像で記録されたものです。最近、あまりテレビを見なくなりましたが、時々こういう素晴らしい番組に出会うことがあります。

 番組では、住職でもあるという医師の田中雅博さんが、たんたんと死について語る場面に始まり、火葬場で焼かれ骨となるまでの光景が、時の推移にしたがって、映し出されていきます。その過程は、死の〝プロ〟ともいうべきこの男性にとってさえ、いら立ち、不安、苦しみを免れるものではありません。

 死というものは、抽象的なものではなく、言おうとしていることが言えないとか、ものごとを覚えていられないとか、好きだったアイスクリームすらのみ込めないだとか、目の前にいることが当たり前の、家族ら、親しい者が見えなくなるという、極めて具体的なことがらであり、その周囲の者たちが、会えなくなるという全く同じ思いをするという点で、自分だけの恐怖ではないことを、深く思い知らされます。

 静かさに至る道のりは、なだらかな坂道ではない。それを含めて受け入れることが死に向かう境地であり、そこに立つことは真に勇気のいることです。その覚悟は、テレビカメラを前にしてありのままの姿を撮影することを許したところに、たしかに感じ取ることができました。

後藤 慎吾

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2017.08.22

その他

愛車アコードに乗って

アメリカに留学していた頃、ある日本の女優さんを車の助手席に乗せてワインで有名なナパバレーに出かけたことがありました。片道2時間ほどの小旅行です。その女優さんとはその1か月前にサンフランシスコで知り合ったばかり。異国の地で、テレビでしか知らなかった女性とドライブすることになるとは、思いも寄らぬことでした。といっても、後部座席には妻・娘・息子が乗ってぎゃーぎゃーいってましたけどね。今回のコラムではその知り合った日のことを書こうと思います。

私は、その日、午前8時から9時50分までのMergers & Acquisitions(企業買収)という授業に出た後、午前10時からのAntitrust(競争法)という授業に出る予定だったのですが、その教室に行ってみると真っ暗でした。教室の前にいた友人に聞くと前日に授業がキャンセルになった旨のメールが回っていたとのことでした。

 

Antitrustの授業の後に午前11時20分からTorts(不法行為法)という授業があったのですが、ふとその授業をさぼってドライブでも行こうかな、と思い立ちました。その日のとても晴れわたったカリフォルニアの青空がそうさせたのだと思います。とっさに妻に電話して、サンフランシスコから少し南にあるパシフィカという町の海岸線沿いにあるGorilla BBQというお店でリブを食べようということになりました。その日は娘がぐずって幼稚園を休んでおり、夕方に幼稚園に迎えにいく必要がなくなったので遠出することができたのです。

パシフィカまでの道すがら、小切手2通を病院と携帯会社に郵送する手続をしようと郵便局に立ち寄ったのですが、とても混んでいたので諦めました。そこで小切手の入った封筒をダッシュボードの上に置いて愛車アコードを出発させたのでした。

車を飛ばして1時間ほどでGorilla BBQに着いたのはよかったのですが、その店は海の前にあるということもあって、車のドアを開けたとたん、小切手の入った封筒2通が突風にあおられて天高く飛んでいってしまいました。家族で必死に探した結果、30分後に50メートルくらい離れた山肌にかろうじて1通を見つけました。リブを食べた後また探しまわったのですが、もう1通はどうしても見つからず午後2時過ぎに諦めてバークレーに帰ることにしました。

愛車アコードがサンフランシスコに差し掛かると、妻が化粧水を買うためにデパートに行きたいと言い出しました。ハイウェイを降り、ナビでパーキングを探したりしながらサンフランシスコの中心部にあるPost Streetという道路を走行中、目の前の信号が赤になりました。車を止め、ぼおっと視線を前に向けていると目の前の横断歩道をとても綺麗な日本人の女性が通ったのです。その人が冒頭で述べた女優さんでした。異国の地という非日常のなせる業か、妻はさっと車を降りて話しかけ、たちまちその女優さんと仲良くなってしまいました。

今でもこの日の出来事を思い出すことがあります。そして、この世のすべての人の人生は偶然の積み重ねの上に成り立っている、という至極当然のことを認識させられるのです。

もし、Antitrustの授業がキャンセルされていなければ、
もし、私が真面目にTortsの授業を受けていたら、
もし、あの日、私がGorilla BBQのリブではなくて、Chipotleのタコスを食べたくなっていたら、
もし、娘がぐずらないでいつも通り幼稚園に行っていたら、
もし、立ち寄った郵便局がすいていたら、
もし、パシフィカがその日風一つない穏やかな日だったら、
もし、私がもう一通の小切手の捜索に執念を燃やしていたら、
もし、妻の化粧水が切れていなかったらetc. etc.

「もし」を数え上げたらキリがありません。

そのうちの一つでも違った事実が積み上げられていたならば、私の家族はあの日、あの時、あの場所にいなかっただろうし、今、こうやってコラムを書いている私の頭の中にある記憶も全く違ったものになっていたはずです。

私の好きなアインシュタインの言葉に“There are only two ways to live your life. One is as though nothing is a miracle. The other is as though everything is a miracle.”というものがあります。同じものを見ても心持ちによって全く違うように見えるものです。たとえ毎日が平凡と感じても、明日は今日と全く違うものになっているかもしれない。そう思うだけでわくわくしてくるのは私だけではないだろうと思います。あの日の偶然は、そういった考え方を私の中に根付かせてくれた象徴的な出来事でした。

荒巻 慶士

UPDATE
2017.07.31

その他

うちわであおいでいた

毎日、暑い日が続いています。

私事で恐縮ですが、昨年末に子どもが産まれ、その子が初めての夏を迎えています。

蒸し蒸しする昼下がり、わたしはうちわで赤ん坊をあおいでいました。エアコンを入れようかとも考えたのですが、空はうすぐもりで、古風な人力の風も気持ちがよいのではないかと思われたのです。

その子は、横顔にやわらかな光を浴びて、すやすやと眠っていました。

あおぎながら、わたしの方もうとうとと…。

ふと突然、わたしは、幼いころに、母からまさにこんな風にうちわであおがれて、眠りについたことを思い出しました。

ふさがってくるまぶたを感じつつ、うちわを動かしながら、あおいでいるような、あおがれているような…。

不思議な感覚でした。

無意識のうちに、親からされたことを子にする。

もしかしたら、それがよいことであっても、悪いことであっても、いえるのかもしれません。虐待された子が虐待親になる「虐待の連鎖」が語られることもあります。

いや、ひょっとすると、これは、親子だけのことではないのかもしれない。

よきにつけ、悪しきにつけ、ひとからされたことを知らず知らずのうちにひとに返していく。

きっと、ひとってそういうものなのでしょう。

あおぎながら考えた夏の午後でした。

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