後藤 慎吾

UPDATE
2017.02.28

その他

困難を乗り越えた先に見えるもの

昨年の夏から取り組んできたプロ向けファンドの法規制に関する本の執筆は、本日ようやく校正を終えました。この4月には、いよいよ出版される予定です。この法規制は複雑であり、また取り上げるべき内容も広汎にわたるものでしたが、できるかぎり基本から平易に説明することに腐心しました。自室にこもって一日中資料を読み込んだり、夜遅くまで仕事をしたあとに徹夜で原稿を書いたりと、ほとんど休むことなく作業を続けた8カ月間でした。自分なりに努力を重ねてここまで漕ぎつけることができたので、あとは読者の方の評価に委ねたいと思います。

 

執筆期間中に何度も思い出されたのが、司法試験の受験生だったときのことです。当時の司法試験は現代の科挙といわれるくらいの狭き門でした。合格率は3%を割っていました。私も、合格するまで、朝起きてから寝るまでのほとんどの時間を法律の勉強に費やすという生活を3年続けました。1年に1回しかない試験なので、不合格だとまた1年間同じことを繰り返さなければならないと思うと必死です。ただ当時、それほど辛く感じることはありませんでした。「なりたい自分になる」という目標の実現に向けて自分は正しいことをしているという自負があったからこそ、過酷な状況でも意外と楽しく過ごすことができたのだと思います。

 

人は困難を克服する過程で成長するものです。そのハードルが高ければ高いほど、人はそれを乗り越えようとがむしゃらに努力する。その努力を通して得られた知識・経験・自信といったものがその人の成長の証しなのだと思います。翻って考えてみると、受験生時代に頭の中に叩き込んだ条文と法的思考は今となっては私にとって大切な財産ですし、また、あの3年間を乗り越えられたのだから、努力すれば大概のことはできるんじゃないかな、と思えるようにもなるわけです。普段は自堕落な生活を送っている私ですが、時折こういった困難に直面すると何故だかわくわくしてしまうのは、過去の経験から、それが成長できるチャンスだとわかっているからなのだと思います。

 

ただ、司法試験の受験生をしていた当時は独り身でしたが、今は妻子を持つ身。執筆期間中は「パパ、一緒に遊ぼー!」と言ってちょっかいを出してくる娘・息子を振り振り払いながら執筆に打ち込んできたので、家族をないがしろにしてしまった反省もあります。そういうわけで、当面の間は「困難」はほどほどに、家族サービスに精を出さないとな、などと思案しつつ、先ほど久しぶりにワインのボトルを開けました。今宵はほろ酔い気分の中でしばし解放感に浸ろうと思います。

 

 

 

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