後藤 慎吾

UPDATE
2024.12.18

企業法務関連情報

お客様は神様ではない

今年の秋に、私が法律顧問をしている会社でカスタマーハラスメントへの対応に関する研修の講師を担当した。その会社は消費者向けのサービスを提供しているので、サービス利用者や時には利用者でない人からも電話などでハラスメントを受けることがあるとのことだった。実例を聞いてみると、カスタマーサービスの担当者がひどい暴言を言われていて、こちらまで悲しい気持ちになった。

 

カスタマーハラスメントは、多くの場合、顧客が事業者の提供する商品やサービスに不満を持つことが起点となっている。この不満の原因が何なのかを検証し、その原因に対処し、予め不満の芽を摘むことが、事業者がカスタマーハラスメントを抑止するための基本となる。また、顧客が不満を持った後の顧客への対応の仕方も重要だ。カスタマーサービスの担当者の商品やサービスに関する知識は十分か、顧客に接する際の態度に改善するべき点がないかについても検討する必要がある。

 

しかし、事業者がどれだけ努力しても、顧客自体が変わろうとしなければ、カスタマーハラスメントはなくならない。「お客様は神様です」「The customer is always right.」といった言葉があるが、これらの言葉は、顧客が期待する商品やサービスの提供に徹するという事業者側のあるべき態度を示したものであって、顧客の側がこれを字義どおりに理解して、不満があれば事業者に暴言を吐いても構わないと考えるのは誤りだ。

 

東京都が今年10月にカスタマーハラスメント防止条例を制定し、国も事業者にカスタマーハラスメントへの対応を義務づけるための法改正を検討するなど、我が国においてカスタマーハラスメントの抑止に向けた機運が高まりつつある。これらの動きによって、カスタマーハラスメントの問題に関する社会的な意識に変化がもたらされ、事業者と顧客の双方が、互いの人格を尊重し、よりよい関係を築いていく契機になってくれればと願っている。

荒巻 慶士

UPDATE
2024.11.22

その他

ルールの軽視、倫理の無視

 最近驚いたことは、数々の違法行為で起訴された身でありながら、ドナルド・トランプ氏が再度、米大統領に選ばれたことである。日本では、政治資金の問題を抱えた自民党が総選挙で敗北したことに国民の良心の一端が現れたかと思いきや、ここへ来て兵庫県知事選で斎藤元彦氏が当選したので、改めて驚いた。県議会に百条委員会が設置されること自体そうある事態ではなく、その調査状況によればパワーハラスメントの疑いが強いことが明らかであるからだ。

 

 ルールに対する意識の弱まりは危険水域にあるかに見える。ルールを取り巻く職業倫理などは無視に近いか。ルールを守ることは最低線であり、政策はそれを守った上での是非論であろう。権力を持つ者のルール違反を是認すると、その権力行使は手段を選ばないことになり、弱肉強食の世界が現れる。

 

 わが法曹界に目を向けると、金融庁に出向中の裁判官によるインサイダー取引が強制捜査を受けたところであり、元検事の弁護士が準強制性交罪で起訴された。検察は過去には証拠を改ざんするという事件を起こしている。違法を監視する立場の者がルール違反をしているようでは、法の支配もがたがたになる。

 

 いったいだれがルールなど守るのかという事態は困る。常識を常識といえる世の中、子どもに常識を語れる世の中でありたいものである。

後藤 慎吾

UPDATE
2024.10.22

その他

死について

今年の夏に母校の早稲田大学高等学院で「法学特論」という授業を担当する機会があった。受講生の3年生たち(この学校に通う生徒を校内では学院生という。)は、あまりに若く、まぶしかった。そういう彼らと今の私の違いは何かと考えたときに、それは「死」に対する感覚の違いなのかもしれないと思った。 

 

私は、高等学院に通っていた当時は自分の死が想像できなかった。至極当然のことだが、これまでに死ななかった人はいないし、当時も毎日のように訃報のニュースを目にしたはずだが、いつも他人事のように感じていた。なので、授業の冒頭で彼らに「君たちは永遠に生きると思っているんじゃないか。」などと挑発的なことを言ってしまった。 

 

私は、4年前に母を亡くした。母の死は、私にとって、人の死がどのようなものかを理解した初めての経験だった。そして次は私の番なのだと思った(父はまだ健在だが)。 

 

授業の最後に、学院生たちに私が好きな坂本龍一が生前好んで使っていた「Art is long, life is short.」という言葉を送った。これはヒポクラテスが医師を志す若い医学生に言った言葉で、坂本は芸術の意味で用いていたが本来のArtは技術(医術)という意味なのだという。人生の過半をとうに過ぎた私には身につまされる言葉だが、若い彼らにどこまで響いたのかは定かではない。大人になってようやく理解できることは多くある。死もそのうちの1つなのだと思う。 

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