荒巻 慶士

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2024.07.17

その他

猫の話

 能登半島地震から半年として、石川県輪島市の漆芸家桐本滉平さんがラジオのインタビューに答えていた。集落は復興が進んでいるが、離れたところではインフラが戻らず、放置されたままの民家も多くあるという。

 自身の工房兼自宅も、当時、交通が途絶え、戻れた時には飼い猫3匹のうち2匹が犠牲になっていたとのことだ。被災地域には、未だに消息不明の猫たちが数多くいて、飼い主らによる所在探しの活動にも関わっていると話していた。

 

 民法の世界では、猫=ペットは物であり、所有の対象にすぎないが、今の社会の感覚では、これをはるかに超えて、家族として人並みの地位を得ていて、ペットを巡る法律問題・紛争もざらにある。ペットの尊厳とか、人格的存在という言葉もそれほど奇妙に聞こえない。

 

 債務整理の依頼者の家計で、光熱費がやけに高額なので尋ねると、ペットのために外出中もエアコンはつけたままなのだとのこと。この暑さなので「生命の尊厳」を守るためやむを得ない。

 散歩中に犬のリースを引く男女が、〇〇ちゃんパパ、✕✕くんママなどと呼び合う光景はまったく珍しくない。

 

 知人の話してくれた相続財産清算人のこんな経験談も思い出す。

 一人暮らしの飼い主に死なれてしまい、発見に時間がかかった。その間に猫の食べ物がなくなってしまった。飼い主は、自らの肉体で猫の命をつないだというものだ。

 

 そういえば、先ごろ亡くなったフジコ・ヘミングさんは、猫好きでたくさんの猫に囲まれて暮らしていたとのこと。生前、自身の死後の猫たちの境遇を気にかけていたとも聞く。その後の成り行きが気になったりもする。

 

 私自身は猫を飼ったことはない。かつて寸前まで行ったことはある。

 記者時代にいわゆる夜回りから帰宅すると、いつも玄関先で待っている猫がいた。ドアを開けると、するりと中へ入ってくる。当時、駆け出し2年目で、ペット禁止の借室住まい。お世話する余裕はなかった。

 

 次々思い出される猫の話。ねこ、ネコ、猫…、書き方でなんだか想起する姿も変わる。猫の魅力のなせる業だろう。

 

 

 

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