荒巻 慶士

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2022.01.20

その他

旅心に誘われて

 ふと思い立って旅に出る。そんなことをしなくなってどれくらい経つだろうか。逃れがたいスケジュールに、ここへ来てコロナの追い打ちである。先が見えないだけに、旅への思いは募るばかりだ。

 

 20代のころ、アメリカに留学し、帰国前に、長距離バスで大陸を横断した。ニューヨークからシカゴへ、シカゴからニューオリンズに、ロッキー山脈を越えてサンディエゴ、北上してサンフランシスコへという行程だった。宿も決めない、出たところ如何の若さに任せた旅だった。

 記憶には匂いが伴う。バスから降り立つと、胸を満たすのは、アスファルトに積もった、底冷えする夜の雪、雑踏のほこりや、砂漠の乾いた風、温泉の蒸気‥‥。その肌に触れるに近い感覚は、バーチャル旅行ではもちろん味わえない。マスク姿では半減、興ざめだろう。

 

 コロナ下で、顔と顔、手と手を介しない情報のやり取りは、ますます増えていくに違いない。このようなコミュニケーションもおろそかにできないことは承知している。長期戦に備えて、わが事務所も法的サービスのあり方を改めて考えているところだ。裁判所の手続も電子化が急ピッチで進んでいる。

 それでも、生の〝触感〟は代えがたいものがある。窮屈さからいずれ解放される時を心待ちにしながら、旅への夢想を膨らませている。

後藤 慎吾

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2021.12.13

その他

ニューヨーク州の司法試験の思い出

小室圭さんが挑戦したことでニューヨーク州の司法試験が日本でもにわかに注目を集めた。

この試験の合格率は60%を超えるので、合格して当然というような報道が日本でされていたが、日本人の受験生に限っていうとそういうわけでもない。なぜかといえば、当然のことではあるが、ニューヨーク州の司法試験は、英語で問われて、英語で答えなければならない試験であるので、日本人の受験生にとっては法律の知識を問う試験という前に、英語力が問われる試験であるともいえるからだ。

私は、2013年7月にニューヨーク州の司法試験を受験した。米国のロースクールを卒業したその年の5月の初旬から、司法試験が行われる7月の下旬までの2か月半間は、文字通り朝から晩まで試験勉強に時間を費やした。

ニューヨーク州の司法試験は、1日目はマークシート試験、2日目は論文試験なのだが、英語を母国語としない日本人が、限られた時間の中でこれらの試験に対応するためには、日本語を介在させることなく、英語の問題を英語のまま理解し、英語で即答できる頭の構造にする必要がある。受験勉強を始めた当初は全く時間が足りず、制限時間内に半分くらいしか回答できなかったが、2カ月半の間、英語だけの世界にどっぷりつかって必死にもがいていたら、英語を英語のまま理解し、英語で答えるということが自然にできるようになり、司法試験を受験する直前期には時間内にすべての問題に回答することができるようになっていた。

このように日本人の受験生にとってはニューヨーク州の司法試験は決して侮ることのできない試験なのだが、アメリカ人の受験生にとっては様相が相当に異なる。

こんなことがあった。

私は、1日目の試験が終わった後、ホテルの部屋で缶詰めになって2日目の論文試験のために勉強していたのだが、その最中、ホテルの電話機が不意にプルルと鳴った。受話器をとると、「今話しているのはMr. Gotoか?」と聞く声がある。そうだと答えると、「私はホテルの受付係の者だ。Mr. Gotoに会いたいと言っている男がフロントに来ているのだが」とのことだった。

フロントのある1階まで降りていくと、そこにいたのは、見覚えのある長身の白人男性だった。2013年5月にハーバードロースクールを卒業し、私と同じタイミングでニューヨーク州の司法試験を受験した彼は、2011年に、私が当時勤めていた法律事務所に2か月ほどインターンをしていたのだが、その間、私は、社会科見学と称して、彼を連れて歌舞伎町やら六本木やらといった夜の街に繰り出したのだった。

彼は、それに恩義を感じていたのか、1日目の試験の休み時間に日本人らしき受験生に「Shingo Gotoはどこのホテルに泊まっているのか」と手あたり次第に聞いて回り、とうとう私の宿泊していたホテルを突き止めた。このことだけでも彼の試験に対する態度がどのようなものかがわかるだろう。

2年ぶりの再会を喜び、少し会話した後(話を聞くと、彼はロースクールを卒業した後1か月くらい海外に卒業旅行に出かけていた。)、彼から夕食を誘われたのだが、さすがに私には彼と食事をとりながら昔を語らう余裕はなかった。私は明日の論文試験のために勉強しなくていいのかと尋ねたが、彼は「まあ大丈夫ね」と日本語で答えた。

それを聞いて、ああ、彼にとって司法試験というものはそういうものなのかと、私は妙に納得した。ニューヨーク州の弁護士資格という同じものを得ようとしても、そのプロセスは彼と私とではこうも違うのだ。それと同時に、結果はどうであれ、この辛く、苦しい試験勉強の過程で経験した私の苦労は、私の人生にとって、意義のあるものになるに違いないと、これまたなぜか妙に納得したのを今でも覚えている。ニューヨーク州の司法試験という目標がなければここまで必死になって米国法や法律英語に向き合うこともなかっただろうし、実際に、受験勉強の過程で体得したスキルはその後の仕事に欠かせないものになった。

試験会場のあるニューヨーク州バッファローの近くにナイアガラの滝があり、受験生は試験が終わった後にそこを観光するのが恒例になっている。ご多分に漏れず、私も2日目の試験が終了したその2時間後には、壮大な瀑布のしぶきを浴びてびしょびしょになっていた。

荒巻 慶士

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2021.11.12

その他

亡くなった方たちとの出会い

 相続財産管理人の仕事を始めて10年以上になる。家庭裁判所は、原則として利害関係のない第三者を選任するから、管理する財産の持ち主とは、亡くなってからの出会いとなる。これまでにこうして出会った方たちは何十人になるだろうか。

 

 相続財産管理人の選任を求めるのは、亡くなった被相続人の債権者や被相続人の財産を現に管理している者などの利害関係者だ。法定相続人がいなかったり、いたとしてもみな相続放棄をしたりして、相続人が不存在である場合に選任される。

 管理人は、被相続人の財産の有無・内容を調査し、その債権は回収し、財産は売却するなど換価して、管理・処分の上、債権者に弁済するといった仕事をする。

 

 自宅を遺して亡くなった方については、主を失った部屋に立ち入らせてもらうことになる。過去数十年に及ぶような公共料金の領収書類が整然と収納されているのを見つけ、几帳面な人柄に触れたり、楽器やカメラ、書籍などによりその趣味が窺われることも多い。

 家族のアルバムや親しい間柄の方からと思われる手紙にしばし見入り、生前の元気な姿が偲ばれて、しんみりすることもある。

 

 職務としては、経済的な側面を処理すれば足りるわけだが、室内に遺骨が残されていたり、位牌や仏壇が置かれていることも。そのような場合には、菩提寺に納骨、供養したり、墓じまいをしたり、お焚き上げを依頼することもある。

 会ったことのない方々だが、寄り添う気持ちを持って仕事を進めるように心がけている。もっとも、見ず知らずの弁護士の心配りも行き届かないことだろう。本人もどこかで、思わぬ死後の展開に意外な思いをしているのではないか。遺言書の作成など、「終活」をお勧めしたいところではある。

 

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