後藤 慎吾

UPDATE
2017.10.16

その他

スタートアップ・ベンチャー支援の醍醐味

事務所を設立してから1年半余りが経ちました。大企業から中小企業・個人まで幅広くご依頼をいただいている当事務所ですが、立ち上げ当初から、スタートアップ・ベンチャー企業(VB)に対する法的な支援には力を入れています。この間、企業として産声を上げたばかりのVB、助走期間を経て首尾よく離陸することができたVB、画期的技術の開発に成功し大きく飛躍を遂げたVBなど様々なVBに対して力を尽くすことができました。スタートアップ・ベンチャー支援を業務の柱の一つとしたいと私が考えるようになったのは、ある会社との出会いがあったからです。

 

その会社とのお付き合いは既に10年以上になります。同じ会社に勤めていた同僚4人が神奈川県伊勢原市で会社を立ち上げ、順調に事業を拡大していましたが、その過程で法律問題が生じ、気軽に相談できる弁護士を探していました。その会社の社長が、私が司法修習生時代に時折通っていた割烹料理屋の常連だったことから、女将さんの紹介でお付き合いが始まりました。私にとっては弁護士の仕事を始めてから初めて顧問契約を結んでいただいた会社です。ベンチャー企業の雰囲気には社長のキャラクターが多分に影響します。社長が関西出身ということもあるのか、その会社の雰囲気は家族的で、和気あいあいとしたものでした。私はそのような温かみのある会社の雰囲気がとても好きになり、私の家族を連れて会社のイベントに参加させていただくこともありました。

 

私が法律顧問としてお手伝いを始めてから数年が経ったある日、社長から電話があり、理由も告げず、今日会えないかとのことでした。お会いしてみると、リーマンショックのあおりを受けて大赤字に陥り会社の存続が危ぶまれる状況であり、経費節減のために顧問契約を解約させてもらえないかという話がありました。財務的基盤が強固でない中小企業にとって当時の未曽有の金融危機の影響は甚大でした。私は、すぐさま、そのような状況であれば契約の解約は当然のこと、法律問題が生じれば無償で相談にのるのでいつでも連絡をください、と言いました。本心からこう言えたのは、それまでに共有した時間の中で相互の信頼に基づく人間関係を築くことができたからだと思います。

 

その後、この会社は、リーマンショックのあった2008年の翌年には大規模プロジェクトを受注し、文字通りV字回復を果たしました。さらには、従来から有していた高度な技術を別分野に応用し新規事業を創出するなど、持続的な成長を実現しています。私は顧問契約の解約から半年後には再度法律顧問として迎えていただき今日に至ります。

 

私がスタートアップ・ベンチャー支援に注力していきたいと考えているのは、この会社とのお付き合いのような、強い信頼に基づいた人間関係を多くの有為な方々と築いていきたいと心から望んでいるからです。この会社には私にスタートアップ・ベンチャー支援の醍醐味を教えてくれたものと大変感謝しています。

 

今年の6月には改正個人情報保護法のレクチャーのため久しぶりに本社社屋を訪問し、その後会社敷地内にあるウッドデッキで役員・社員の方々とのBBQに参加させていただきましたが、あんなに大変なこともあったけれどここまで大きくなったんですね、と焼酎片手に語り合える幸せ。これぞ顧問弁護士冥利に尽きるというものでした。

荒巻 慶士

UPDATE
2017.09.26

その他

死に向かうリアリティ

    先日、死にまつわるドキュメンタリーをテレビで見ました。敬老の日の夜、NHKの放送でした。がん患者の死を多く看取ってきたという医師が、自ら末期がんを患っていることがわかり、その死までの1年余りが映像で記録されたものです。最近、あまりテレビを見なくなりましたが、時々こういう素晴らしい番組に出会うことがあります。

 番組では、住職でもあるという医師の田中雅博さんが、たんたんと死について語る場面に始まり、火葬場で焼かれ骨となるまでの光景が、時の推移にしたがって、映し出されていきます。その過程は、死の〝プロ〟ともいうべきこの男性にとってさえ、いら立ち、不安、苦しみを免れるものではありません。

 死というものは、抽象的なものではなく、言おうとしていることが言えないとか、ものごとを覚えていられないとか、好きだったアイスクリームすらのみ込めないだとか、目の前にいることが当たり前の、家族ら、親しい者が見えなくなるという、極めて具体的なことがらであり、その周囲の者たちが、会えなくなるという全く同じ思いをするという点で、自分だけの恐怖ではないことを、深く思い知らされます。

 静かさに至る道のりは、なだらかな坂道ではない。それを含めて受け入れることが死に向かう境地であり、そこに立つことは真に勇気のいることです。その覚悟は、テレビカメラを前にしてありのままの姿を撮影することを許したところに、たしかに感じ取ることができました。

後藤 慎吾

UPDATE
2017.08.22

その他

愛車アコードに乗って

アメリカに留学していた頃、ある日本の女優さんを車の助手席に乗せてワインで有名なナパバレーに出かけたことがありました。片道2時間ほどの小旅行です。その女優さんとはその1か月前にサンフランシスコで知り合ったばかり。異国の地で、テレビでしか知らなかった女性とドライブすることになるとは、思いも寄らぬことでした。といっても、後部座席には妻・娘・息子が乗ってぎゃーぎゃーいってましたけどね。今回のコラムではその知り合った日のことを書こうと思います。

私は、その日、午前8時から9時50分までのMergers & Acquisitions(企業買収)という授業に出た後、午前10時からのAntitrust(競争法)という授業に出る予定だったのですが、その教室に行ってみると真っ暗でした。教室の前にいた友人に聞くと前日に授業がキャンセルになった旨のメールが回っていたとのことでした。

 

Antitrustの授業の後に午前11時20分からTorts(不法行為法)という授業があったのですが、ふとその授業をさぼってドライブでも行こうかな、と思い立ちました。その日のとても晴れわたったカリフォルニアの青空がそうさせたのだと思います。とっさに妻に電話して、サンフランシスコから少し南にあるパシフィカという町の海岸線沿いにあるGorilla BBQというお店でリブを食べようということになりました。その日は娘がぐずって幼稚園を休んでおり、夕方に幼稚園に迎えにいく必要がなくなったので遠出することができたのです。

パシフィカまでの道すがら、小切手2通を病院と携帯会社に郵送する手続をしようと郵便局に立ち寄ったのですが、とても混んでいたので諦めました。そこで小切手の入った封筒をダッシュボードの上に置いて愛車アコードを出発させたのでした。

車を飛ばして1時間ほどでGorilla BBQに着いたのはよかったのですが、その店は海の前にあるということもあって、車のドアを開けたとたん、小切手の入った封筒2通が突風にあおられて天高く飛んでいってしまいました。家族で必死に探した結果、30分後に50メートルくらい離れた山肌にかろうじて1通を見つけました。リブを食べた後また探しまわったのですが、もう1通はどうしても見つからず午後2時過ぎに諦めてバークレーに帰ることにしました。

愛車アコードがサンフランシスコに差し掛かると、妻が化粧水を買うためにデパートに行きたいと言い出しました。ハイウェイを降り、ナビでパーキングを探したりしながらサンフランシスコの中心部にあるPost Streetという道路を走行中、目の前の信号が赤になりました。車を止め、ぼおっと視線を前に向けていると目の前の横断歩道をとても綺麗な日本人の女性が通ったのです。その人が冒頭で述べた女優さんでした。異国の地という非日常のなせる業か、妻はさっと車を降りて話しかけ、たちまちその女優さんと仲良くなってしまいました。

今でもこの日の出来事を思い出すことがあります。そして、この世のすべての人の人生は偶然の積み重ねの上に成り立っている、という至極当然のことを認識させられるのです。

もし、Antitrustの授業がキャンセルされていなければ、
もし、私が真面目にTortsの授業を受けていたら、
もし、あの日、私がGorilla BBQのリブではなくて、Chipotleのタコスを食べたくなっていたら、
もし、娘がぐずらないでいつも通り幼稚園に行っていたら、
もし、立ち寄った郵便局がすいていたら、
もし、パシフィカがその日風一つない穏やかな日だったら、
もし、私がもう一通の小切手の捜索に執念を燃やしていたら、
もし、妻の化粧水が切れていなかったらetc. etc.

「もし」を数え上げたらキリがありません。

そのうちの一つでも違った事実が積み上げられていたならば、私の家族はあの日、あの時、あの場所にいなかっただろうし、今、こうやってコラムを書いている私の頭の中にある記憶も全く違ったものになっていたはずです。

私の好きなアインシュタインの言葉に“There are only two ways to live your life. One is as though nothing is a miracle. The other is as though everything is a miracle.”というものがあります。同じものを見ても心持ちによって全く違うように見えるものです。たとえ毎日が平凡と感じても、明日は今日と全く違うものになっているかもしれない。そう思うだけでわくわくしてくるのは私だけではないだろうと思います。あの日の偶然は、そういった考え方を私の中に根付かせてくれた象徴的な出来事でした。

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