後藤 慎吾

UPDATE
2021.12.13

その他

ニューヨーク州の司法試験の思い出

小室圭さんが挑戦したことでニューヨーク州の司法試験が日本でもにわかに注目を集めた。

この試験の合格率は60%を超えるので、合格して当然というような報道が日本でされていたが、日本人の受験生に限っていうとそういうわけでもない。なぜかといえば、当然のことではあるが、ニューヨーク州の司法試験は、英語で問われて、英語で答えなければならない試験であるので、日本人の受験生にとっては法律の知識を問う試験という前に、英語力が問われる試験であるともいえるからだ。

私は、2013年7月にニューヨーク州の司法試験を受験した。米国のロースクールを卒業したその年の5月の初旬から、司法試験が行われる7月の下旬までの2か月半間は、文字通り朝から晩まで試験勉強に時間を費やした。

ニューヨーク州の司法試験は、1日目はマークシート試験、2日目は論文試験なのだが、英語を母国語としない日本人が、限られた時間の中でこれらの試験に対応するためには、日本語を介在させることなく、英語の問題を英語のまま理解し、英語で即答できる頭の構造にする必要がある。受験勉強を始めた当初は全く時間が足りず、制限時間内に半分くらいしか回答できなかったが、2カ月半の間、英語だけの世界にどっぷりつかって必死にもがいていたら、英語を英語のまま理解し、英語で答えるということが自然にできるようになり、司法試験を受験する直前期には時間内にすべての問題に回答することができるようになっていた。

このように日本人の受験生にとってはニューヨーク州の司法試験は決して侮ることのできない試験なのだが、アメリカ人の受験生にとっては様相が相当に異なる。

こんなことがあった。

私は、1日目の試験が終わった後、ホテルの部屋で缶詰めになって2日目の論文試験のために勉強していたのだが、その最中、ホテルの電話機が不意にプルルと鳴った。受話器をとると、「今話しているのはMr. Gotoか?」と聞く声がある。そうだと答えると、「私はホテルの受付係の者だ。Mr. Gotoに会いたいと言っている男がフロントに来ているのだが」とのことだった。

フロントのある1階まで降りていくと、そこにいたのは、見覚えのある長身の白人男性だった。2013年5月にハーバードロースクールを卒業し、私と同じタイミングでニューヨーク州の司法試験を受験した彼は、2011年に、私が当時勤めていた法律事務所に2か月ほどインターンをしていたのだが、その間、私は、社会科見学と称して、彼を連れて歌舞伎町やら六本木やらといった夜の街に繰り出したのだった。

彼は、それに恩義を感じていたのか、1日目の試験の休み時間に日本人らしき受験生に「Shingo Gotoはどこのホテルに泊まっているのか」と手あたり次第に聞いて回り、とうとう私の宿泊していたホテルを突き止めた。このことだけでも彼の試験に対する態度がどのようなものかがわかるだろう。

2年ぶりの再会を喜び、少し会話した後(話を聞くと、彼はロースクールを卒業した後1か月くらい海外に卒業旅行に出かけていた。)、彼から夕食を誘われたのだが、さすがに私には彼と食事をとりながら昔を語らう余裕はなかった。私は明日の論文試験のために勉強しなくていいのかと尋ねたが、彼は「まあ大丈夫ね」と日本語で答えた。

それを聞いて、ああ、彼にとって司法試験というものはそういうものなのかと、私は妙に納得した。ニューヨーク州の弁護士資格という同じものを得ようとしても、そのプロセスは彼と私とではこうも違うのだ。それと同時に、結果はどうであれ、この辛く、苦しい試験勉強の過程で経験した私の苦労は、私の人生にとって、意義のあるものになるに違いないと、これまたなぜか妙に納得したのを今でも覚えている。ニューヨーク州の司法試験という目標がなければここまで必死になって米国法や法律英語に向き合うこともなかっただろうし、実際に、受験勉強の過程で体得したスキルはその後の仕事に欠かせないものになった。

試験会場のあるニューヨーク州バッファローの近くにナイアガラの滝があり、受験生は試験が終わった後にそこを観光するのが恒例になっている。ご多分に漏れず、私も2日目の試験が終了したその2時間後には、壮大な瀑布のしぶきを浴びてびしょびしょになっていた。

後藤 慎吾

UPDATE
2021.10.14

その他

本を書く

先月、出版社から、私が執筆した書籍「適格機関投資家等特例業務の実務」が増刷されたと連絡を受けた。以前1度増刷されているので、今回が第3刷ということになる。上梓してから4年以上が経つが、今でも買い求めてくれる方がいるのは正直うれしい。

 

今、新しい本を書いている。書き始めたのは今からちょうど2年前のことだ。出版社の当時の企画書を見ると、本来であれば今年の春に出版されることになっているのに、いまだに終わっていない。何度も締め切りを延ばしてもらい、編集者には迷惑をかけている。それでもようやく8合目まできた。来年の春には何とか世に出せればと思っているがさてどうなることやら(汗)

 

私の本業は弁護士業だから、執筆活動は、執務を終えた後の夜遅くや週末に行わざるをえない。これまで寸暇を惜しんで筆を進めてきたが、今回の書籍で取り組むテーマの奥深さゆえに、終わりが見えず執筆を引き受けたことを後悔したこともあった。しかしゴールにたどり着かなければこのしんどい生活は終わらない。ここまできたら最後までやるしかないと気持ちを奮い立たせて毎夜机に向かう。

 

法律書を書くということは、説明の対象となる法律に関係する無数の情報を収集し、自ら咀嚼した上で、それを取捨選択し、体系的に整理して、読者にわかりやすく表現することである。事務所の執務室にある私の机は、今回の執筆のために読み込んだ書籍や資料の山に囲まれている。我ながら、この2年間よく勉強した。新しい書籍が無事刊行されたら旅に出たいと思っている。

後藤 慎吾

UPDATE
2021.08.11

その他

左利き

私は左利きだ。

 

ただ、子供のころに字の書き方と箸の持ち方は右手に変えたので、その限りでは両利きなのだが(むしろ今は左手の方が下手になっている)、ボールを投げるのも、じょうろで花に水をあげるのも、何をするにも、そのほかはすべからく左手でしないとどうしようもない。箸は右手にしたが、スプーンやフォークは右手にしなかったので、今も左手で使う。だから、右手で箸を、左手でスプーンを同時に使うという器用な芸当ができるから、他の人より早く食べることができる。

 

人間の9割が右利きであり、左利きは1割に過ぎないといわれるから、この世の中のほとんどの仕組みは右利きの人のためにできているといってよい。右利きの人にはわからないのだろうが、左利きであることによる不便は多い。人生の中で一番辟易としたのは、ゴルフの打ちっぱなしで、左利きの人は、端っこに追いやられた左利き専用のいくつかのボックスでしか打つことができないことだった(アメリカではそんなことはなかったのだが)。

 

息子も左利きだ。遺伝するらしいとは聞いていたが、ほんとうに遺伝した。

 

私が子供のときに右手で鉛筆や箸を使うようにしたときの苦労を思うと、息子にどのように指導したらよいかは悩んだ。ただ、日本語の横書きや英語、フランス語などで文章を書くときは左から右に書くようにできており(これも右利きのための仕組みの一つだ)、左手で文章を書くのはやりにくいことこの上ない。このような個人的な経験から、息子にも右手で書くように指導した。箸は左手でも不便しないし、息子も嫌がったので、今も左手のままだ。

 

このように苦労だらけの左利きなのだが、私は左利きである自分が少し好きだ。これは何とも言えない不思議な感情なのだが、少数者としての矜持というのか、社会から不便を強いられてきたことへの反抗心とでもいうべきか。左利きの人同士が近しい感情を抱くのは、少数者の間の連帯感やそれぞれが日常生活の中で苦労した思いを心のうちに共有できるからなのだろう。この感覚、右利きの人には絶対わからないんだろうなあなどと思いながら、真夏日の今日も左手でうちわを扇いでいる。

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