荒巻 慶士

UPDATE
2019.01.31

その他

平成時代の2つの風景

 今年は、元号が変わる年。

 年末あたりから平成という時代を振り返る特集記事や放送を、メディアでよく目にするようになりました。

 

 自分にとっては、東西の大震災が大きな出来事として印象が強く、とりわけ、東日本大震災は、原子力発電所の事故という、いわば人災を伴った点で、衝撃を受けました。

 その発生時は出張先にいたのですが、陸路を空路に変えて、翌日ようやく帰京した時に目にした光景は、震源から遠く離れた場所であったにもかかわらず、それまでに見たことのない異常なものでした。不意に来て多数の生命を奪い、その者たちとのつながりを突然に断絶させた津波のあり様は、漫然と依拠していた科学技術、その安全性を、根こそぎさらっていくように見えました。

 まさに第2の敗戦ともいうべき出来事で、それまでの日本人の価値観を変え、生きることの厳粛さをもたらしたような感覚を持っています。平成時代には、その後も各地で自然災害に見舞われましたが、一種のそのまじめさを共通項とする連帯感がわたしたちの中に存在するような気がします。

 

 ところで、久しぶりに週末、代々木公園を散歩しました。

 代々木公園は、音楽に狂っていた時代に、公園前の通りに楽器を運び込んで演奏したり、新聞社で記者をしていたころには近くに住んでいて、何かとよく訪れていた場所です。

 寒さの和らいだ日だったとはいえ、真冬の公園に、こんなに人がいたっけか。あまりにたくさんの人で賑わっているのに驚きました。公園の入り口には、リーゼントを決めたローラーたちがフィフティーズをかけて踊っていました。(これは随分前から変わらず?) 公園内に入ると、お手製の楽器を前に腕前を披露する演奏家、散歩者の注意をおしゃべりで引きつつジャグリングする大道芸人、ダンスの練習に励む学生たち、グローブを手にキャッチボールに興じる男女、お弁当を広げてピクニック中の家族連れ、自撮り棒で記念写真を撮る観光客…。中には、無料人生相談の立て札を掲げて相談者待ちの男性も。

 昭和から平成に入ったころには、この公園でこれほどは自分流の週末を思い思いに楽しむ風景はなかったのではないでしょうか。昔だったら、変わり者、目立ちがり屋なんていわれていたかも。そんな振る舞いも当たり前に受け入れる多様性や自由な考え方を、わたしたちは平成時代を通じて手に入れたのかもしれません。

 

 そして、それが、「生きることの厳粛さ」に、どこかでつながっているといったら、少し言い過ぎでしょうか。

荒巻 慶士

UPDATE
2018.11.15

その他

音楽の魔力

 秋が来て、暮れにかけて、なぜか音楽を聴きたくなります。

 クラシックでも、ジャズでも、ロックでも、ジャンルは問いません。ただ、CDや端末ではなく、生の演奏が聴きたくなるのです。カフェなどでお茶を飲んでいても、流れている曲が気になり始め、偶然、目に触れたコンサートのチケットを申し込み、それでも当日を待ちきれず、この間の休日には急遽、近所の音楽イベントを探し出し、出かけてきました。

 そうして耳にしたサックスの音は胸にしみるようでした。

 

 思えば、高校、大学と、ロックバンドの活動に明け暮れ、当時はインディーズブームの走りで、ライブハウスに出演するほか、レコードを売り出したり、原宿のホコ天、下北沢や吉祥寺の駅前…と、街頭で演奏したり、コンテストに出場したりと、まさに音楽に狂った7年間でした。

 急に夜、衝動に駆られて、機材を山中に持ち込んで演奏し、パトカーが来てしまい、それでも大した問題にはならず、この手の話には割とおおらかな時代だったようにも思います。

 

 音楽には、こんなドはまりする魔力があって、当時の仲間には、自分の仕事を持つようになった後も、音楽を続け、今でも時折コンサートを開いたり、あるいはレコード会社に就職したり、中にはそのままプロになってしまった人もいます。わたしも、普段、楽器を演奏することはなくなってしまいましたが、たまたまどこかでかかっている曲を耳にして、スイッチが入ってしまい、イスやテーブルをドラム代わりに叩き出したり、頭を振り出して歌い出したりして、この人大丈夫?という目で見られることも…。

 同じような曲調の新曲を繰り返し出しながら、何十年も息長く活動を続けているミュージシャンっていますよね。

 

 もうすぐやってくるクリスマス。音楽なしには考えられません。

 音楽には、理屈なく引き込まれる何かが、たしかにあります。

荒巻 慶士

UPDATE
2018.09.24

企業法務関連情報

アウトか、セーフか

 ハラスメントの事案が増えています。

 

 その相談を時々受ける先の会社で、ハラスメントの防止に向けて社員を啓発するパンフレットを作ることになり、その内容をレビューして意見を述べる機会がありました。このほど完成した「ハンドブック」を送っていただいたのですが、多色刷りのしゃれた装丁で、イラストも豊富で読みやすく、適量であるのに内容も充実、見事な出来栄えでした。

 

 セクハラと聞いて、みなさんはどのようなケースを思い起こされるでしょうか。職場の力関係にものを言わせて性的関係を強要する場合? パワハラというと、気に入らない部下の仕事ぶりを毎日のように罵倒するといった場合でしょうか。たしかにこれらは典型例ですが、そんなのだめだなのはわかっているという方が多いのではないでしょうか。先に紹介した小冊子の特徴は、セクハラ、パワハラ、それぞれに多くの事例が掲載され、しかも割と微妙で、ある意味リアルな具体例が並んでいるところです。

 

 例えば、セクハラでいうと、「今日もかわいいね」という誉め言葉はどうかとか、取引先から、女性を連れてきてと頼まれたので部下に酒席に同行してもらった場合や、仕事が一区切りしたところで慰労のために部下を1対1で飲みに誘うケースなどが取り上げられています。いかにも現実にありそうな状況は、「パワハラ編」でも続きます。ミスを注意する際に、職場のほかの者をccに入れてメールで叱責する、「明日の有休は何するの」とチェックを入れる、などなどです。

 

 そんなこともできないの? うかつに注意もできないな、頑張ってもらおうとしただけなのに、ハラスメントといわれるくらいなら放っておこう…。そんな声が聞こえてきそうです。挙げられている事例も、常に必ずセクハラ・パワハラに該当するとは言い切れないもので、くわしい経緯・状況などによって、社会通念に照らして違法性が問われることになります。ただ、ハラスメントが懸念される場面であるといえるでしょう。

 

 形式的にこれはアウト、これはセーフと覚えても意味はありません。知らない場合はとりあえずやめておくということになれば、萎縮の弊害になりかねません。職場にはいろんな感じ方、考え方の人がいることを前提に、これって嫌がらせに至っていないか、自らの振る舞いをその時々の状況で考えてみることが大切です。

 

 さて、我が身を振り返り、自分の言動で秘書や同僚に不快な思いをさせていないか…。人間関係って、難しいものですね。

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