荒巻 慶士

UPDATE
2017.07.31

その他

うちわであおいでいた

毎日、暑い日が続いています。

私事で恐縮ですが、昨年末に子どもが産まれ、その子が初めての夏を迎えています。

蒸し蒸しする昼下がり、わたしはうちわで赤ん坊をあおいでいました。エアコンを入れようかとも考えたのですが、空はうすぐもりで、古風な人力の風も気持ちがよいのではないかと思われたのです。

その子は、横顔にやわらかな光を浴びて、すやすやと眠っていました。

あおぎながら、わたしの方もうとうとと…。

ふと突然、わたしは、幼いころに、母からまさにこんな風にうちわであおがれて、眠りについたことを思い出しました。

ふさがってくるまぶたを感じつつ、うちわを動かしながら、あおいでいるような、あおがれているような…。

不思議な感覚でした。

無意識のうちに、親からされたことを子にする。

もしかしたら、それがよいことであっても、悪いことであっても、いえるのかもしれません。虐待された子が虐待親になる「虐待の連鎖」が語られることもあります。

いや、ひょっとすると、これは、親子だけのことではないのかもしれない。

よきにつけ、悪しきにつけ、ひとからされたことを知らず知らずのうちにひとに返していく。

きっと、ひとってそういうものなのでしょう。

あおぎながら考えた夏の午後でした。

荒巻 慶士

UPDATE
2017.05.30

最近の法律関係情報

憲法改正の必要性

 今月3日の憲法記念日に首相が2020年に改正憲法を施行するとの考えを表明し、マスコミの中にもこれに賛同する論調が見られました。その後、首相が示した9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという提案について、賛成が半数を超えたという世論調査の結果も報道されています。右とか左とか、安易にレッテルを貼られることに抵抗感があって、政治的にわたる言葉には慎重になりがちですが、まさかと思ううちに、あれあれ、おいおいという感覚の下に、法律の専門家として、意見を述べておきたいと思います。

 それは、現憲法を改正する必要はまったくないというものです。現在、改正すべき点として議論されていることのほとんどは、法律レベルで対応すればよいことで、中にはそれすら不要、単に政策として実行すればよいというものもあります。高等学校の義務教育化はそういったものの例です。また、首相の提案する自衛隊の明文化についても、今や、自衛隊という名前の組織を違憲と考える人はほとんどいないでしょうから、その必要性は低いと言わざるを得ません。首相は、多くの憲法学者が自衛隊を違憲と言っていると述べているようですが、それは自衛隊のあり方が問題とされているのではないでしょうか。自衛のための組織としてのあり方については、その組織の存在とは別に不断に問われるべきものでしょう。

 憲法の改正が法律の改正とは異なるポイントが2つあります。まず、憲法は、国家と国民の関係を規律し、国家権力を抑制しているものであるということです。例えば、民法は私人と私人の間のルールを定めていますが、こういった下位の法律とは性質が異なることに留意が必要です。憲法上、国家は国民の権利・利益を擁護すべき存在であり、権力の行使についていわば手かせ足かせをはめられています。したがって、権力の側にいる政治家がこれを変えようとする動きには、注意が必要といえます。憲法が制度化している三権分立の仕組みに則って、裁判所は、議員定数不均衡に関して、何度となく、違憲性を指摘してきましたが、これを是正しようと動きは政治の側において遅々として進まなかった現実があります。このような政治家が憲法を大切にしこれを良いものにしようとしてくれると信頼できるかというと、相当な疑問があるというほかないように思います。

 2つ目のポイントとして、憲法を押さえておけば、三権分立の下、司法の牽制が働くということです。憲法に違反する法律改正に対して、裁判所はその効力を失わせることができます。ところが、憲法自体を変えられてしまうと、違憲審査のよるべき基準が変わるので、もはや司法により是正ができなくなるのです。

 このように、憲法は変えにくいことに意味があり、改正については慎重のうえにも慎重に、政治への十分な信頼を基礎として、強い必要性が認められる場合に行うべきだと考えます。自衛隊は災害時に頑張っているから、明記してあげても…などという次元の話ではないことをよく理解する必要があります。改憲より注力すべき立法政策課題は、たくさんあるのではないでしょうか。

 

荒巻 慶士

UPDATE
2017.03.19

その他

春に3.11を思う

 もうすぐ春が来ます。

 4月は残酷極まる月、と歌ったT.S.エリオットの「荒地」は、私の中で、福島の被災地と重なります。雪を溶かす雨が、芽を吹かせ、「鈍い根をかき回す」…。

 6年前の3月11日、私は富山・高岡の裁判所に出張中で、和解を成立させた帰り道、特急は糸魚川で立ち往生し、そこで下車させられた私は、来た方向へ向かう列車で富山に引き返さざるを得ませんでした。そして、その車内で聞く乗客のひそひそ話により、非常に大きな地震が起きたことを知りました。

 駅員は、明日は上越新幹線も動くでしょう、と話していましたが、一夜明けても動く気配はありませんでした。週末で、東京に帰る必要はなかったのですが、私は、「故郷」である東京に帰りたくなり、たどり着いた空港で、キャンセル待ちをして、羽田行きの切符を手に入れました。静まり返った町を抜けて戻った自宅は、うず高く積まれていた本が崩れるなど、物が倒れているくらいで、無事でした。原発事故は報道されていました。実はメルトダウンしていたのですが、それを知る由はありませんでした。私たちは知らされていなかったからです。

 被災地から離れていても、だれもが、それぞれに3.11の記憶を持っています。あの日、被災しなかったのは偶然にすぎない、という思いがあります。あれ以来、私たちは、無邪気でいられなくなり、大人びてそれでいて不安げな子どものように振る舞っています。

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