荒巻 慶士

UPDATE
2020.01.06

その他

保釈中の被告人の逃亡

年末年始は大きなニュースが続いた。 

考えさせられたのは、カルロス・ゴーン氏の海外逃亡と米国によるイラン革命防衛隊司令官の殺害の報道だ。

 

 司法に関わる者からみると、ゴーン氏の国外脱出というのは実に恥辱的で、弁護人は絶対に逃げないと大見得を切って保釈を勝ち取ったのだろうから、穴があったら入りたいという気持ちだろうと思う。逃げないと約束すると言われて手を放したら走り出したというようなマンガみたいな話だ。

 

 ゴーン氏は、正義から逃げたのではない、不正義から逃れたのだという。弁護人が依頼者に対し、日本の刑事制度はおかしいと力説したことは想像に難くない。刑事手続になじみのない外国人が、身柄拘束下において唯一自由に会うことのできるその世界のプロから、そのような話を何度も聞いて不正義だと認識を強めて、それが逃亡の口実となったのではないかと考えると、非常に残念なことだ。

 日本の刑事司法が世界的な広がりをもって議論されているのも、この国が新たな時代を迎えていることを示すものだろう。例えば、取調べに弁護人の同席を許さないというのは、欧米からみると常識に反することになる。グローバル社会の中で、その正当性を堂々と主張できるのか、そういう検証が必要だと思う。

 

 もう一つのニュース、米国による暗殺だが、戦争の端緒となりうるものだ。戦争は殺人を合法化するとはよく耳にする。もう少し考えると、戦争にも正当化される場合と正当化されない場合があるはずだ。しかし、それを判断するための制度は十分ではない。

荒巻 慶士

UPDATE
2019.11.23

その他

覆面禁止の違憲判断に思うこと

 中国本土への被疑者の引渡しを可能とする逃亡犯条例改正案を発端としてデモ隊の抗議活動が続く香港で、日本であれば高等裁判所に当たる高等法院が、デモ隊の覆面を禁じる条例について、香港基本法に違反するとの判断をした。香港人の基本的権利の制限に関し、捜査上合理的に必要な範囲を超えているとの理由だ。香港基本法は日本の憲法に当たり、覆面規制について憲法違反と認定したことになる。警察はこれを受けて、この条例の執行を停止したという。

 このような報道に触れて、香港は中国に属することにはなったが、一国二制度はまだ維持されているのだとはっきり認識した。

 

 というのは、今回の事態は、三権分立の原則の下、裁判所が政府や立法の誤りを正したのであり、中国における共産党による一党独裁制とは相入れないものだからだ。実際に、報道によれば、中国の中国全国人民代表大会(全人代)は、香港法が香港基本法に準拠しているかどうかは全人代のみが判断・決定できる、他の当局にはその権限がないとコメントした。

 

 裁判所は、選挙の結果を元に構成される国会や政府と異なり、民主政の基礎を持たない。それでも、多数者が常に正しい判断をするとは限らないという前提の下で、国会が制定し、行政府が執行する法律の憲法適合性を審査し、その効力を決定する。これが違憲立法審査権である。

 このような「法の支配」は、国民一人一人の人生と生活を守るための知恵である。そして、言うまでもなく、合憲性は、憲法の保障する権利に基づいて判断されるから、違憲審査権のような権利を実現する手段だけではなく、権利自体の中身も重要だ。

 

 このように憲法は、下位の法律と決定的に異なる性質を持つのであり、政府がその都合の良いように改変する動きには厳しく警戒する必要がある。憲法上の原理・原則を弱めることは、国家の基本を揺るがすことになりかねない。

荒巻 慶士

UPDATE
2019.09.30

その他

懐かしくて新しい出会い

 高校生のころ、斜に構えていたから、文化祭とか体育祭とか〝青春〟めいたものが嫌だった。その後、いろいろなことがあり、大抵のことは受け入れるようになり、視野も広がって、何事にも興味を持てるようになった。さまざまな人と出会う弁護士という仕事、その前に就いていた新聞記者の仕事も、こうした心境の変化を与えたと思う。

 そういうわけで、この夏開かれた出身高校の同窓会に、初めて出かけた。といっても、これまでそのような会が行われていることも知らず、今回は幹事のメンバーが同窓会名簿を使って、広く呼びかけてくれたということだ。

 

 当時バンドを一緒に組んでいて、行くのを約束し、会うのを楽しみにしていた仲間、思いがけず再会できたクラスの友だち…。長い人では、まさに卒業以来だから、30年以上会っていないことになる。

 その年月を埋めるには、あまりにも短い時間ではあったが、会ってみれば呼び捨てで、忘れかけた記憶をみなでつなぎ合わせては笑い、会が終わるころには、すっかり高校生に戻った気分だった。

 

 不思議だったのは、級友たちは、街で会ったとしたらわからないだろうのに、顔を合わせて話してみれば、話し方、物腰、当時のままで、そのまま歳月を経た風貌なのだ。「○○か、まったく記憶にないけだ、身体が覚えてるよ」、と声を上げた友人がいた。

 まさにそういう感じ。そういえば、こう話した友人は、昔から、言うことに感覚の鋭さがあったっけ。無垢な心で、見、聞き、感じていたあのころがよみがえる。お前も結局、変わらないと言われた。

 

 友だち、そして自分にも、懐かしくも、新しい出会いだった。

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