後藤 慎吾

UPDATE
2021.06.14

その他

B’z

通勤や犬の散歩をする際に音楽を聴くことが多い。サブスクリプション(定額制)の音楽配信サービスに加入しているので、その日の気分によって聞く音楽はロック、ポップス、R&B、EDM、ジャズ、クラッシック・・・と節操がない。ところが最近はずっとB’zを聴いている。先月ようやくB’zの楽曲のサブスクリプションでの配信が解禁されたのだ。

 

私が初めて購入したCDはB’zの「LADY NAVIGATION」だった。確か中学2年生のころのことで、それ以来B’zが好きになり、中学を卒業するくらいまでB’zの音楽を毎日のように聴いていた。好きが高じて「BAD COMMUNICATION」のころの稲葉さんの髪型をまねてみたりもした。B’zは私の青春を彩る音楽の重要な部分を占めていた。

 

私がバークレーに住んでいたときに、B’zがとなり街のサンフランシスコでライブをしたことがあった。B’zは日本ではドームなどの大規模会場でライブを行うのだろうが、サンフランシスコでは小劇場のようなところでの公演だった。私は開演の相当前の時間に会場に行って最前列に陣取った。手を伸ばすとあともう少しで稲葉さんに届きそうな距離だった。ライブの中盤で「Easy Come, Easy Go!」が演奏されると不思議と涙が出た。多感な時代に聴いていた音楽を大人になったあとに聞き直すと、その頃の様々な出来事や感情が思い返されてくるのだ。私にとって「Easy Come, Easy Go!」は特別な曲だった。

 

今、松本さんは60歳、稲葉さんは56歳だという。かくいう私も43歳になった。当時のB’zの楽曲は永遠に不変だが、演奏者や聴衆はそうはいかない。「BE THERE」を聴きながら、人は年を取るのだという当然なことの意味をかみしめた。

荒巻 慶士

UPDATE
2021.05.28

その他

司法委員に着任して

 今年から東京簡易裁判所で司法委員の仕事を始めた。

 司法委員は、裁判所の非常勤職員の立場で、民事訴訟の審理に立ち会う。裁判官に意見を述べたり、和解の協議を進めたりするのが職務だ。弁護士が多いが、弁護士とも限らない。普段の業務では、原告・被告という当事者の代理人の立場で出廷することが多いが、審理を執り行うという裁判所の立場で訴訟に関与することに、新鮮な思いをしている。

 

 代理人として出廷しても、自身の担当事件が終われば、その場を離れる。司法委員は、その日予定された事件に軒並み携わることになる。

 簡易裁判所には、貸金を初めとして数多くの事件が提起されて、大量の案件を手際よく処理することが求められるが、他方で、弁護士が代理せず、当事者自ら対応するケースも少なくなく、本人が出頭している場合には、裁判官は丁寧に説明し、また、送達など手続の適正にも配慮する必要があり、大変な業務だと改めて実感する。

 

 代理人としては当事者と同化して目が曇りがちになる主張・立証の状況も、中立的な裁判所の立場だと判断しやすい。双方代理人の立ち居、振る舞いもよく見えるものだ。こうした状況で、裁判官に意見を述べたり、弁護士として感じられる、書面や法廷で現れにくい当事者の〝本音〟を裁判官に伝える際にも、やりがいを感じている。

 

 和解の成立に向けて尽力することは司法委員の大きな役割の一つだ。こまごまとした事案も多い簡易裁判所の訴訟において、適正な条件で早期解決を図りたいという当事者の期待を感じることは多い。公平に臨み、適切な基準を示しつつ、落着できるよう信頼に応えていきたい。

後藤 慎吾

UPDATE
2021.04.30

その他

マラソン

私のマンションの前に往復で10キロほどのジョギングコースがある。そのコースは海に面しており、この時期は海風が気持ちいい。私は米国留学時代に初マラソンを経験し、それ以来、走ることが好きになった。

 

コロナの前はあまりランナーがおらず、このコースを気に入っていたが、コロナ後は、在宅勤務で時間ができたからだろうか、ランナーがとても増えた。コロナが終息したら、マラソン大会はどこも大盛況だろう。

 

10キロ程度のジョギングだと心地よさのままに終われるのだが、42.195キロのマラソンはそうはいかない。折り返し地点くらいまではまだよいのだが、とりわけ30キロくらいからは、なんで俺はこんなに苦しい思いをしなきゃならないんだろうと悔やみながら走っている。それにもめげずに何とか重い足を引きずって進んでいくと、40キロを超えたあたりから、あと少しでゴールだと希望がふつふつと湧いてきて、それまで私の心を占めていた後悔の念がきれいさっぱり消えていくのだから人間の心理というものは不思議なものだ。

 

コロナに侵された世界はまだ折り返し地点にも達していないのかもしれないが、いずれゴールにたどり着くときが来るだろう。今は、自らがすべきことを行い、希望をもって、一歩一歩着実に前に進んでいくことだけを考えたい。

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