後藤 慎吾

UPDATE
2019.12.23

その他

生と死のあいだ

バックパッカーとして世界中を旅した人のエッセイなどを読むと、人生観に最も影響を与えた場所としてインドのバラナシというガンジス川のほとりにある街を挙げる人が多いことに気づきます。

 

10年以上前のことですが、私はバラナシを訪れたことがあります。インドのニューデリーに駐在していた友人を訪ねたその数日後、その友人から飛行機のチケットを手渡されました。彼曰く「バラナシに行かないとインドに来た意味がない」とのことでした。

 

バラナシは、インドの人口の約8割が信者であるヒンドゥー教の聖地であり、インドの各地から死期が近づいたヒンドゥー教徒がバラナシを訪れ、そこで死を迎えるのだそうです。ガンジス川の河川敷を散策していると、キャンプファイヤーで見るような井桁積みにした薪のうえに遺体が焼かれ、親類縁者が遺体を取り巻くようにしてその焼かれる様を黙って見つめていました。ここで焼かれた遺体はガンジス川に流され、やがて自然に還っていくのです。この一連の葬送儀礼は、この街のいたるところで見られる光景でした。

 

このようなバラナシの日常が示唆するのは、生の延長線上に死がある、というあまりにも当然の事実です。当時の私は、人の死に直面した経験も少なく、自分の死がいつか来ることを意識したこともありませんでしたが、この街は否応なしにその事実を突きつけるのでした。バラナシがこの地を訪れた人々に深い感銘を残すのは、それぞれの心にこのような気づきを与えるからなのでしょう。

 

早いもので今年も残りあとわずか。人はなぜ生きるのか、限りある生を意義のあるものにできているか、そもそも生に意義を求めること自体詮無いことなのではないか・・・今年あったことを振り返りつつ自らに問うてみたいと思います。

荒巻 慶士

UPDATE
2019.11.23

その他

覆面禁止の違憲判断に思うこと

 中国本土への被疑者の引渡しを可能とする逃亡犯条例改正案を発端としてデモ隊の抗議活動が続く香港で、日本であれば高等裁判所に当たる高等法院が、デモ隊の覆面を禁じる条例について、香港基本法に違反するとの判断をした。香港人の基本的権利の制限に関し、捜査上合理的に必要な範囲を超えているとの理由だ。香港基本法は日本の憲法に当たり、覆面規制について憲法違反と認定したことになる。警察はこれを受けて、この条例の執行を停止したという。

 このような報道に触れて、香港は中国に属することにはなったが、一国二制度はまだ維持されているのだとはっきり認識した。

 

 というのは、今回の事態は、三権分立の原則の下、裁判所が政府や立法の誤りを正したのであり、中国における共産党による一党独裁制とは相入れないものだからだ。実際に、報道によれば、中国の中国全国人民代表大会(全人代)は、香港法が香港基本法に準拠しているかどうかは全人代のみが判断・決定できる、他の当局にはその権限がないとコメントした。

 

 裁判所は、選挙の結果を元に構成される国会や政府と異なり、民主政の基礎を持たない。それでも、多数者が常に正しい判断をするとは限らないという前提の下で、国会が制定し、行政府が執行する法律の憲法適合性を審査し、その効力を決定する。これが違憲立法審査権である。

 このような「法の支配」は、国民一人一人の人生と生活を守るための知恵である。そして、言うまでもなく、合憲性は、憲法の保障する権利に基づいて判断されるから、違憲審査権のような権利を実現する手段だけではなく、権利自体の中身も重要だ。

 

 このように憲法は、下位の法律と決定的に異なる性質を持つのであり、政府がその都合の良いように改変する動きには厳しく警戒する必要がある。憲法上の原理・原則を弱めることは、国家の基本を揺るがすことになりかねない。

後藤 慎吾

UPDATE
2019.10.28

その他

子供たちとの対話

先日、ある小学校に出向いて、5年生のクラスでいじめの問題について話をする機会がありました。弁護士会の活動の一環です。

 

誰もが、いじめはしてはいけないことだと知っています。しかし、昔から学校でいじめはありましたし、今でも深刻な問題であることに変わりがありません。いじめの被害児童・生徒が命を絶つ痛ましい事件は毎年後を絶ちません。

 

みんなが仲良く暮らせる学校や社会にするためにはどうしたらよいのか。とても難しい問題です。

 

物と違って、人の心は傷ついても外部から視覚的に観察することができません。子供のときはなおさらですが、相手の立場に立って物事を考えることは難しいものです。ただ、自分の気持ちであれば誰もがよくわかります。ですので、クラスの子供たちと対話をする中でいろいろな例えや実例などに触れながら、「自分が他の人からされて嫌だ、悲しいと感じるようなことは他の人にしてはいけない。」というメッセージを伝えました。月並みなことといってしまえばそれまでですが、様々な機会をとらえてこのような思考のフレームワークを継続的に伝えることで、子供たちの心のなかにしっかり根付かせることが必要なのだと思っています。

 

私の話を真剣に聞いてくれた子供たちが、これからの長い人生において他の人を思いやり、豊かな人間関係を築いていってもらえたらと願っています。

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